「現代における東洋美術の伝統」 第二章 物理的な力から視覚的なカヘの転換

1996 筑波大学修士論文

目次

第二章 物理的な力から視覚的なカヘの転換

ここで、いわゆる物理的「力」というのは、絵画制作中、画家の体・肩・臂・手・腕・指等の運動によるものである。この「力」という運動要因が、創作された形にふくまれて視覚的な構成になり、或いは「力の場」に構築され、画家の作品は、この「力」による心理物理的な力の生きた図表である。「物理的な力がみえる」と指摘したアルンハイムはこのように述べていた。

身体的な運動行為の力動的特性が、作品のなかに跡をのこし、それに応じた運動性質をしめすことを、芸術家は心得ている。かれらは手首や腕の運動をゆるめて、流暢な、生きいきとした線をだす練習をするばかりでなく、多くのひとは、表現題目にふさわしいような運動感覚的状態に自分の体をおこうとしている。ボウィ(Bowie)は日本画における「生動」の原理を論じている。「日本画における著しい特徴は、筆づかいの力である。日本画ではそれを筆力、または筆勢とよんでいる。力を暗示するもの、例えば、岩の崖・鳥のくちばしや爪虎の爪・木の幹や枝を表現するときは、筆をつかう瞬間に力の感情がわき、画家の全身に感じられ、腕や手を通って筆に投入され、かくして描かれるものに伝えられなければならない。」*24

極端にいえば、絵画制作はすべて運動行為の力動的特性を持ち、作品に現れたある顔料・絵具は、制作者の手の動きにより筆を通して物理的な力の「跡」と思ってもいいだろう。東洋絵画にとっ著しい牲徴は、はっきり見える筆づかいの力である。この運動の要因で現わした物理的な力が、東洋絵画の原点であり、土台でもあった。

東洋絵画の基本的な表現手法である「線描」 図24a
写意画といわれた表現的な筆タッチ 図24b
写生画といわれた宋院体画(工筆画)の細密な筆づかい 図24c
山水画表現の基本といわれた各種の皺法 図24d

周知の通り、東洋絵画で主に使用している筆は毛筆である。この毛筆(硬毫類は、狼毫・兎毫・猪毫等硬い毛で製作された筆で、軟毫類は羊・鶏等柔らかい毛で製作された筆で、兼毫類、硬い毛と柔らかい毛を混合して製作された筆である。)を使って線(直筆または側筆)点(直点・横点・側点)塊面(直筆・側筆)等、組み立てをしたり、重なり合ったり重複変化したり、いろいろな視覚の映像、或いは物形が生じてくる。これらは筆の運びにより生まれてくるものである。筆の運びは、人の手(腕・指または全身体とつながり)の運動でもある。

「わが国は、やがて筆という表現方法を得た。筆は人類が発明した造形の用具のうちで、エネルギーの表現にもっともてさしている。また運筆の速さと遅さ筆圧の大と小、墨の濃淡、墨の量の豊富なのとかすれるの、運筆の方向、その他さまざまの要素が組みあわされて、あたかもエレクトロンが音の世界でなしとげたのと同じく、もっとも自由で幅ひろい表現力をもっている。」
《日本美の特質》吉村貞司著´*25

運筆によるいろいろな筆触、タッチは、紙に触わる一瞬の力、重さ、速さ、方向等によって東洋絵画に使われている紙に、忠実に記録されるという点て最も重要なことである。紙の種類による、この「跡」も視覚的なさまざまの表情を見せる。

生き生きとした運筆

曾つて、日本の書家、野口白汀氏は書の線について、このように述べていた。

「木の棒を横に置けば一の字になり、点が横に動いても一の字の線であるが、書の線とは言えない。
 書の線は生きていなければならない。心が籠もっていなければならない。リズムに乗って書かれ、そこに強弱、潤渇があり、流動美、鋭さ、厚み、温かさなどを感じさせ、細くても強靭、太くて深い線、艶のある線、そして、渋い線に生命感がなくてはならない。そこに響きや、香りまで感じる線を書きたい。‥‥‥」*26

書と絵ともに毛筆を使い、運筆により構成されている。昔から「書画一致」とも言われ、運筆という現象では、物理的な力の働く現象である。これを視覚的映像にかえると、不思議な生命感が現れる。このような運筆で現われた線・点・塊面・形等に命を与え、まるで運筆が生命体をつくると見てもよいのではないかと考える。内的な躍動が体・手の動きを通して外に表われ出ると、生々とした視覚体が生まれてくる。

 生きている自然万象は、変動をしつづけている「力の像」である(力のバランスがよくとれた像)。つまり、自然界の山・石・川・樹木・花草等、物理的な運動状態の形でわれわれの目前に現れている。画家は「凝視」により、この物象から現れていた「力」を受け取って図25黄山の松、この「力」を画家の体に通して、「意想して、仮になる力のマネ」を起し。(力動的な想像)それを作品を描くときに、この自然物象に相応するような運動感覚的状態(記憶から呼び出す、黙想等)を自分の体に興奮させ、結果としては運筆の力に転化して、筆のタッチになって画面の自然物像「動的なる形」になる。
 しかし、だれでも筆を使えば、生々とした運筆ができるとは言えない。長い期間練習、訓練と、心に持つ意象を筆の先まで伝えるような努力も必要である。

 「蔵頭護尾」と言われた筆線の審美標準は、実は、筆線の力的構造により生きている視覚体の形を、象形化された言語で語った意味である。それは生命体としての基本の構造と考えている。古く古く測って「易」系の世界観をふまえた観念とのつながりにも深く関与がある。

「『易伝』の中には大を支配する人格神はいない。それどころか、そこに強調されるのは、大が発奮して向上をめざし、たゆまず前進してこそ、天地自然と共に歩めるという考えだ。天地自然は昼も夜も運行し、変化し、改まっているから、大はこれと同じ歩調の動態構造をとることによってこそ、自然や宇宙のすべてと一体化できるのであり、これでこそ「天地と参わる」こと、つまり人の心身や社会集団と天地自然との同一化〔一体化〕という「天人合一」が成り立つのである。こうした「同一化」あるいは「合一」は、静態的な存在ではなく動態的な行為であり、「日新これを盛徳と謂う」とはそのことだ。」‥‥‥

ここでは天地とともに、人もまた偉大な存在であり、天と人とは通じあい、一つになる。したがって、人はその感情や思想・気勢によって、宇宙万物と呼応しあうことができ、人の心身のつくる一切の規律や形式(芸術の一切の規律や形式を含む)もまさに宇宙に普遍的な自然界の規律や形式への呼応なのである、たとえば運動・変化・動態と平衡・対応と統一などがそれである。

 『易伝』は「剛柔相い推して変化を生ず」〔陰陽は互いに推移して変化を生む〕(繋辞上)ことを強調する。自然界について言えば、「日月相推して明生ず、‥‥‥寒暑相い推して歳成る」〔日と月とが推移して明るさが生まれ、寒さと暑さが推移して一年が成り立つ〕(繋辞下)といい、人間界についていえば、「変に通ずるこれを事と謂う」〔変化に通ずることを事という〕(繋辞上)、「功業は変に見わる」〔功業は変化の中に表される〕(繋辞下)、だから「天地変化して、聖人これを効う」(繋辞上)、「易は窮まれば則ち変じ、変ずれば則ち通じ、通ずれば則ち久し。是を以て天はこれを佑けて、吉にして利ろしからざるなし」〔易の原理は窮まれば変じ、変ずれば通じ、通じれば久しく持続する。すべてにつけて利かある〕(繋辞下)というのである。人は自然にならって、変化に対応しながらたえず功業を打ち立て、生成と発展を求めねばならない。
 自然と人事はただ運動し変化する中にのみ存在するというこうした『易伝』の見方は、「生成」の基本的な観点で、まさに中国美学の運動・力・韻律をかなり重視する世界観の基本である。天地宇宙のすべてがそれらの絶え間ない運動変化のうちにある以上は、美や芸術もそうであらねばならない。具体的事物や現実的内容がまったくないに等しくきわめて抽象的な中国の書道芸術のうちでさえ、強調されているのは、こうした大自然と一体化した構造をなす動態的な勢いや骨組みや動きである。ことは絵画においても同じである。

東晋の『筆陣図』(衛鑠の作とされているが、実は唐代の作品)(『中国美学史』第二巻第十二章第二節「魏晋書法論著略考」参照)には「百鈎の弩が発射される」とか、「崩れる浪がしらが雷のごとく奔りまわる」などと比喩されるような技法があるし、五代の『筆法記』(荊浩)にも、「〔筆の〕運転は変通して、質あらず形あらず」〔筆の動きは変幻自在で一定の形をもたない〕といった伝授がある。中国の芸術が「線」を重視するのは、「線」こそが生命の運動であり、運動の生命であるからにほかならない。だから中国美学でずっと重んじられてきたのは静態的な対象や実体や外貌ではなく、対象に内在するはたらきや構造や関係であり、これらはやはり動態的生命に基づき、それに決定づけられているのである。近代の書家として著名な沈尹黙はこういっている。

石刻であれ墨逍であれ、外に表現されたものは、つねに静的な形をしているが、このような形を成り立たせているのは、動の効果であり、動の勢いであって、それが静かに静の形の中にとどまっている。静なるものを再び動き出させるには、観賞者の想像力が必要で、それを経てはじめて再現が期待できるのだ、そのとき既成の形の中に、活発に行きかってやまぬ勢いが見てとれる。この瞬間に、彩なす精神の輝きに触れられるだけでなく、音楽にも似た軽重遅速のリ・ズムをも感じることができる。およそ生命力のある字はすべてこうした魔力をiもっており、見る人をますます生き生きさせるものだ。(『現代書法論文選』)
《中国の伝統美学》 李沢厚著*27

 運筆による筆のタッチは、ただ運動し変化する中にのみ存在する。ここで「生成」(生れ成す)してきた筆タッチは、生き生きとした力動的な構成にほかならない。運動・力・韻律は中国伝統美学の基礎であり、この運動・力・韻律というものは、もともと自然(天)と人間に存在しているすべてのものである。「易伝」には「天下至動なれども、乱る可からざるなり」(繋辞上)とある。この言葉は、さまざまな運動変化・混乱対立・相互の摩擦や動揺のなかでも、自らの秩序を保っていることを言う、東洋伝統美術における美の理想は、まさにこれにあると李沢厚氏は指摘した。

 先程書かれた「蔵頭護尾」という筆線も、このような運動の変化によってつくられた視覚形象だと思う。図2C 漢字の楷書で「一」と描く時、始めのところ左への動きと終りのところ、また左へ返す力で、生命体として動態の平衡の本質をこのように変化しながら「生成」した。このような“力構”は生命という現象を洞察した上で、生命体の“力構”と同じような「同質動態構造」であると私は思う。

花・葉;枝・樹身・石・山形・自然界にはすべての生きものとして動きがあり、力の抗衡があり、生命体には生命力を充満しているはずで、丸形にはこれを示す意味を持っている。古代の東洋人はそのように考えている。針のような松の葉を近くてみると、先は丸形である。夭折した枝先には、「蚕頭」のような形にはならない。この基本になる「一画」は、つまり生々とした運筆でできた筆線を把握できれば「万物著はる」(万物はあきらかに描きだされる)。清の画家石涛が言う。

………

自然の万象をいきものとして、生命力の働きによるわれわれは、この「力動」を感じる。その感じた「力動」と筆運びの「力動」が、同じ歩調で描かれた視覚体にも同じ「力動」が現れる。この内面的な「力」の「同構」による共鳴が起す、描かれたものにより、あるときは「本当の枝に見える」とした感嘆、それはものの表面的で真実によく似たものとは違い、ものの生き生きした様子をよくつかんだのだと思う。図26,27(枝)生動なる運筆から生動なる視覚像が描かれる。物理的な力が、視覚的力に転化し、物を描きだすと同時に、生命体の観照、即ち、生命の美しさが生まれてくる。

筆意による視覚的な力への体験

しばしば自然界にみられるつよい視覚運動は、物理的な力が運動・膨脹・収縮・成長過程などをとおしてつくった形をおもわせる、というところからきている。大洋の波の非常に力動的なカーブは、水がつきあげられ、引力によってひき下げられた結果である。海岸のぬれた砂上の波の跡は、波の運動によって一面にできた輪郭である。雲のふくらみや山の起伏する姿にも、われわれは直ちにそれを生じた機械的な力の本性を知ることができる。まがりくねった、ひねったような、ふくらんだ形の木の幹や枝や葉や花は、成長の運動を、保存し繰り返している。ブールハルツ(Burchartz)はいっている。「殼をつくるかたつむりは、リズミカルな構成の例である。殼は液状の白墨のような糊のふんからつくられる。それは体のリズミカルな運動によって形づくられ、それから結晶する。かたつむりの殼は第一級の固定した表現運動である。」 つまり、自然がわれわれの目に生きているのは、一部分はその形がそれをつくった事件の名残りであるからだ。過去の歴史は、たんに手がかりによって知的に推論されるばかりでなく、直接に目にみえる形のなかにあってはたらいている、力と緊張として体験されるのである。*28

われわれが毎日のように、目にみえる形(生きものに限る)は変化をし続けている、ある日、突然近くで、部屋の窓辺からのびてきた枝に気がついた。これは今年新しく伸びてきた枝だろうと感慨しながら手で触ったりしてみる。枝はやや弧線状で、スピード感があるような形になっている。この新しく伸びてきた枝の基をみると、昨年の枝がつながっている。やや太く、スピード感が落ちて、更に目を下へ移動していくと、樹幹も日々少しづつ高く生長しつづけているけれども、スピード感はあまり感じられない。 昨年より、今春の枝がスピード感が速い。この枝の形は、それを生んだ内部の力の外的表現である。木はその成長の物語を目に見せてくれる。生きる物とした形は、すべてそれをつくった、もっている「力」の表現である。もし、この十年間に生長してきた樹幹を、今春の枝のような生長の速さを思い込んで描くとしたら、この木は、一春の間に上から躍出したように、観者におもわせてしまうのではなかろうか。森羅万象の自然にはさまざまな「力」としての存在がある。それぞれに応じて、たった一本の筆で描く。今春の新緑の枝もこの筆であり、千年を経た「老梅」もこの筆である。万象の意を揣り、それを筆意にし、或いは遅速・曲直・潤渇・強弱、或いは濃淡・乾枯・抑揚・頓挫等、いろいろな創意を以て各種の変化を工夫しなければならない。

                                筆意を揣るより、対象の形を生んだ内部の力を揣るのである。それは、ものの本質に迫らなければならなかった造形の純粋性において解されるべきである。唐の張彦遠氏は《歴代名画記》のなかで、筆意についてこのように語った。
「夫象物必在於形似。形似須全其骨気。骨気形似皆本於立意而帰乎用筆。」
訳文「それ物を象るは必ず形似にあり、形似は須らくその骨気を全うすべし、骨気形似は皆立意に本づきて用筆に帰す。」 *29

遅速・曲直・潤渇・強弱、或いは濃淡・乾枯・抑揚・頓挫、それは筆意と言われても実に、画面に具体的に現れている視覚対象の意を抽出した、一種の「絵画言語」である。これは一種の視覚的な力の働きと長い年月に渡り、各画家の長期間の制作実践から昇華させた「物象の意」に変化させて、凝縮されたものと考えられる。
 筆意とは、視覚的な力の各種の体験である。この体験は、東洋の伝統美術にとって、また、東洋の画家にとって、素質の修煉、物象の本質を洞察する「力」として必要である。ここで、読者にわかりやすくするため、筆意、またはこの筆意から起った「形」「跡」、つまり「視覚的力の演出」と、この形・跡から観者がうけた意象的な連想を例にして、以下に仮説する。


湿潤の筆意-視覚映像とその力の構成
淡破濃 淡墨(色)を濃い墨(色)を浸入し融合させる
互いの浸入、融合の上で変化を起し、湿潤の視覚効果が生じる。

湿潤の筆意-意象への誘発(導)
生命の意象
春景・梅雨・滝とその周辺
空気中の水分・湿度が高い
ものが濡れている・雨景
万物滋潤・生長期
若々しい少女・みずみずしさ
謬朧・模糊
茫々としているさま
印象的

枯渇の筆意-視覚映像とその力の構成
濃い、また薄い乾れた墨(色)の線・点、軽く紙にさわる
はっきりしない形体
視覚像を弱める
弱まらせる
側筆で描く
枯れている墨(色)線交錯

枯渇の筆意-意象への誘発(導)
生命の枯渇・秋・冬
澄む・清らか
厳しい・峻厳・明快・簡潔
痩形の菊・野辺の菊
崩れ・顔廃美
残山剰水


強弱な筆意対比-視覚映像とその力の構成
強弱相い推して変化を生ず
抗衡・強と弱の構成
   構成美
強‥‥直筆中鋒(力透紙背)
   紙に強く押す(力強く押すことにより、筆が紙の背中に入ろうとすること)、描かれたものの存在を強調する。
   画面の力の中心として存在
弱‥‥側筆側鋒
   存在感が薄い
   交響曲の「和音」としての存在
   「強」に依存する意味
   強を弱める働き

強弱な筆意対比-意象への誘発(導)
近景と遠景を区別させ、重ねて繁茂した樹・葉等
見せ場としての画面主体形像の構成
生命体の強さ

岩石・山形の塊量的存在
輪郭線
滝に衝撃された岩石
強風とたたかっている樹枝
模糊、豚朧、印象的
霧中雑木林
雲に隠れた山腰


遅速の筆意-視覚映像とその力の構成
速さを感じさせ、画面の構成にも影響がある。
視覚としての力の存在が、違いを演じる。
遅い運筆が紙に重力・重さ、速い運筆は方向傾向の意味が強く、遅速は互いに交錯して視覚映像が変化を生む

遅速の筆意-意象への誘発(導)
生長の意を表す
不同な生長、スピードの違い
滝が落ちる、枝が向上の傾向
剛直な硬質なものと柔軟なもの
鋭いもの、鋭器、鷹の爪


また、このような意を揣るのもあった。これは主体的な感情と外界の事物との間の同構に対する素朴な観察や、推測が含まれている。郭煕の《林泉高致》に次のように述べている。

「春の山は霞がたなびいて、人は喜び楽しむ。夏の山は立派な木々が緑陰を成して、人は落ち着いた気分になる。秋の山はすっきりと葉を落として、人は厳かな気分になる。冬の山は黄塵が暗く、あたりを覆い、人は寂しさに閉ざされる。」*30

四季の朝暮晴雨を語った郭煕の意と違い、粗略な、雄渾なる視点から宇宙を洞察し「.人が天地と参わる」という内なる意志の構造によるの意味は、例えば

 A 自然の雄大さ、素朴さ、おおらかさ、純真さ、のびのびとしたやわらかさ、を求める心、またこれを表現したい心。
 B たくましさ、迫力、豪放、気力充実、何ものにも屈しない強い生命力を求める心、そして、これを表現したい欲求。
 C 繊細、シャープ、スマートな現代人の持つ長所を更に発揮し、よりよく表現したいという欲求、過去の歴史にない緻密な頭脳と益々発展する巧緻性の技術との表現。
 D 自由自在に変化し、異質のものを包含しながら高次元に統一する。オーケストラの指揮、コンピューター的な頭脳による統一である。*31


東洋美術の伝統に、このような筆意という物理的な力の変化としての構成は、「様式化」と批判的な悪名も受けているが、私かここで例に述べるのは、筆意とその視覚的力の構成との関与を明らかにし、またこれに対して理解を深めようとするためである。(「様式化」ということの是か否か、それはまた別の問題にしておく。)筆意は、凝固的で不変的なものではなく、自然を観照し、凝視することによって物象の生命精神のすべてを知りつくして、その物象の本質を造形(筆意に移りかわる)になる筆意にして表現しようとすることである。「一つの石を五日間凝視しろ、石に穴があくほど凝視して描け、といわれるのはこのことである。凝視に凝視を重ねて、石の本質を見極めようとした」それは「自然を知ろうとした」ので「生命を写すことであって、真を写すのではなかった。」*32

………


その生命を写すことを、筆意に移り変わらせた。筆意は、生命体の荷載物であり、生き生きとした生命自身でもあり、つまり、遅速・曲直・潤渇・強弱・濃淡・乾枯・抑揚・頓挫という筆意は、動態と平衡・矛盾と統一・雑多と秩序・自然と人間との対応と一致したものと考える。これらの「天人合一、同類相感」の観念も、原始人の類比連想や、巫術宗教に源流を有する自然と人間との交感しあう哲学感は、もともと東洋の古くからの宇宙論の体系とも関係がある。

物理的な力を視覚的な力への転化は、曾つての東洋美術実践に多く行われていた。特に、中国元朝以降、明・清王朝で盛んにはやり、多くの画家達か、自覚的に制作中取り入れたことによって発展、充実した。写意的表現を著しく発達させた画家達の絵を例にしておく。

     《葡萄図軸》    明・徐謂  図28
     《寒山拾得図冊》  明・徐澗  図29
     《草虫仰毛冊》   明・孫隆  図30
     《高岡独立図軸》  清・高其佩 図31
     《横山晴屁図巻》  清・呉歴  図32

筆の動きにより生まれた各種の筆意に彼ら特有の精神状態を表わしている。その精神的なものが、視覚的な力になって、画面の力の構成にも働きを現している。西洋では、このように「はっきり見える筆づかい」が評判になったのは、近代になってからである。アルンハイム著書による美術品についても、われわれは視覚的映像をひたすら実現しようとした行為の跡に直面する。われわれは任意の例でふたつの要因の相対的なつよさを比較することができる。ピカソが暗室のなかで懐中電灯を動かしながらかいた絵が、写真で記録されている。ゆりうごいた曲線は、運動的要因のほうが視覚体制より優勢であることを、明瞭に物語っている。したがって、それは紙上にかいたピカソの絵とは違っていた。同様に、いそいでスケッチしたものは、丹念にかいたものとは区別される。そして個々の芸術家または時代の様式は、運動の要因がどれだけ自由に活躍した可で、特有な精神状態をあらわしている。ルネッサンスのあいだおよびそれ以後に、芸術作品を個人の創造の産物とみなして、鑑賞する傾向が発達した。そして、はっきり見える筆づかいが芸術形式の正しい要素になった。少々逆説めくが、彫刻家の指跡は粘土人形のブロンズの鋳型にさえ、のこされるようになった。以前には作品制作のたんなる準備段階にすぎなかった描画が、こんにちでは、当然の芸術作品としてあつめられるようになった。創作活動の力学が創作された形にふくまれるあらゆる運動に、つけ加えられるようになったのである。*33

 ここに清の画家で、美術評論家でもあった鄒一桂《小山書譜》により、‘西洋画”を論じたものを、この節の終わりに紹介する。

「西洋人善勾股法。故其絵画於陰陽遠近不差錙黍。所画人物屋樹皆有日影。其所用顔色与筆。与中華絶異。布影由こう而狭。以三角量之。画宮室於墻壁。令人幾欲走進。学者能参用一二。亦其醒法。但筆法全無。雖工亦匠。故不入画品。

訳文 西洋の画家たちは幾何学に詳しい。だから彼らの絵画は、明暗や遠近等、真実に迫る。描かれた人物や、建築物や、樹木等に日(陽光)の影がある。彼らの使っていた顔料と筆は、わが中国とまったく異とする。描かれた物形の影が(遠近により)広いから狭くなり、よく計算して、はかったものだ。描かれた建物の室内(透視法による)地面と壁、見る人に入れるような幻覚を起し画を習っている人に対して、この方法の一部は参考になるであろう。しかし、筆法(骨法用筆、運筆)は全く無し、いずれ工整真実であっても、しかも画匠になるべきである。だから西洋画は画品(芸術品として)には入れない。*34

運筆軌跡による「力の場」の構成

物象の形をつかむ目的で真実を求めてきたのが、西洋絵画の伝統であった。例えば、人体の真実を追求するために、人体解剖をあえてした。つまり、絵画は科学である。物体としての真実は絵画のすべてである。モナ・リザの、のどの血管が勣いているのではないかと思われるほどに描きだす、遠近法や明暗法、また焦点透視法等も、真実を徹底的に追求しょうとすることのあらわれである。これと全く異なるのは、東洋絵画の「生命を描く」ということであった。

 筆を運ぶことにより形が生まれ、生き生きとした運筆により、生き生きとした形が生まれる。生命体自身と見ている東洋絵画の運筆には、物象の「精霊魂塊」が現われ運筆そのものは、生き生きとした軌跡による物形の「力の場」を構成しようとした、古来多くの画迫をみれば、よくわかると思う。

運筆の軌跡というと、歴代の画家や、画風により、いろいろあるが、よく言われたのは「密体」と「疏体」の二つであった。唐の張彦遠の《歴代名画記》に「論顧(愷之)陸(探微)張(旭)呉(道子)用筆」とある。顧、陸運筆の神妙な点は、落筆収筆の跡があまり見えないことである。これは密体であろう。(顧陸之神。不可見其盼際。所謂筆跡周密也。) 張旭、呉道子運筆の神妙な点は、少ない筆致でも物象がそれに応じて現われてくることである。彼らの用筆には、物象と離れている点・画、また形が欠けていると思う。筆跡は周密(ぴったり)ではないが、しかし筆意が周密であり、物象骨駱の構造、意象の表現はよく出来ている。(張呉之妙。筆才一ニ。像己応焉。離披点画。時見缺落。此雖筆不周而意周也。)*35

中国絵画史によれば、宋の梁楷の〈溌墨仙人図》図33 牧渓の〈鶴図軸》図34米友仁の《頑湘奇観図巻》図35等が、「筆逍周密」の宋院体画と違い、表現的な「疏体」だとおもいます。元朝以降、この方向への発展が主流となってきた。趙孟頫*36 復古による革新、董源 *37 画風の再認識と活用による絵画が、自然風景の描写という機能から解放され、筆墨による個性の表明となったことを意味している。つまり、五代・北宋の厳謹的な画風(無筆跡可尋――筆致が探しても見つからない、という密体)から、絵画的な覚醒(筆々見筆――筆致としての表現)への転化、意識的に筆致を見せる。このことについて、マックス・ラー教授は「宋代の画家は、みずからの画風を手段として山水を表現したが、元代の画家は山水画を手段として、みずからの画風を作り出した」と分析した。*38


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「それは外観の描写をせずに、対象となる自然の本質的存在を、画家の筆墨によって、画中に再構成することである。理論的には、西洋のキュービズム(立体主義)に似ているが、しかし、それほど抽象的ではないのは、渇筆の筆触が生みだす豊かな感触が、山や土地や草や樹木にある種の実体感を与え、絵画全体に自然らしい効果があらわれているからである。]
《山水画とは何か》新藤武弘著*39

この再構成による一つの変革は、曾つて生き生きとした自然の形体を、生き生きとした筆致で表現するという順序が破れ、筆致自身が、表現の主題になってきた。つまり、元朝以前の絵画は筆致を見させる意識が薄く、元以降の絵画は、石・上・山・樹、等が絵画の要素の存在として、運筆の軌跡による「力の場」の構成になってきたと私は考える。

 ここでピカソが暗室で電燈を動かしながら絵を描く「運動の要因が視覚体制より優勢であること」と想像した例を思いだして、このような「運動の要因」を、そのまま視覚的に固定させたらどうなるだろうかと考えてみる。つまり、運筆という動きが絵画の視覚体制として等価的な存在であると考えたいのだ。ピカソが毛筆や宣紙・和紙を使っていないことを、本当に残念だと思う。
 以上、述べた通り、運動の要因としての運筆の動きを視覚的に固定さ廿、その固定された運筆の軌跡は、生き生きとした生命形の基本の構造である。この形は、生きているエネルギーがこめられている。形であることは力である。その力を見せ場としたら「力の場」、或いは生命の「載体」、と考えても良いのではないだろうか。

 運動の進行――運筆――あたるところに軌跡が残る。そのままの「力」で画面のあちこちを動きながら、形体(或いは山、或いは石)を伴って生まれてくる。これは、東洋絵画構成の楽しみである。(絵画の根本は、宇宙万象画家の手によって生まれ、そこの生き生きとした天趣が目の前でつくられ、現れる。このような楽しみごとがある。だからこそ、画家達は皆んな長寿者である。もし、細かいところをく自然と似たように〉真剣に描きだすと、反って自然の奴隷になる。生き生きとした生意もなくなる) *40
 このように、構造的な力を持つ運筆にとって画面は、「力の場」の存在にほかならない。ここで例としたいのは、元朝の山水画家・王蒙の代表作《青下隠居図》である。図36

「それは胸中の逸気が爆発して、創造エネルギーとなった所産としかいえない凄まじい不思議な絵である。山は大きくよじれながら上昇し、明暗効果も自然のものとは大いに異なる。しかも、それを描き出している筆触は激しいエネルギーを帯びていて、画面に抽象的な凸凹の幻影をつくり出す。山岳風景というよりも、なにか恐ろしい天変地異を見ているかのようである。これまでの山水画が基本的には自然の風景であり、観者はそのなかで想像上の散歩もできたが、ここではそうした従来の通念を根底からくつがえした革命的な作品であるといえよう。」 *41


………


力の激しい抗衡による「力」のドラマを演じている。すべての山形・岩石・樹木が手の運動によってつくられている。気質や生命の衝動の力が働く。これはアルンハイムの言う「われわれは視覚的映像をひたすら実現しようとした行為の跡に直面する」、「創作活動の力学が、創作された形にふくまれるあらゆる運動」である、王蒙の皺法は後世「牛毛皺」と名をつけ、牛のひださながらに細かい線をいちめんに撫でつけた描法だが、実際に観者の目前にあらわれたのは、山・石・樹木等の形より、息づまる程である。観者を捲き込むような渦巻く「力」の構成であった。運筆の軌跡が主役として存在する、山・石・樹木に「力」を充満させ、旺盛にさせた永遠なる命の讃歌であった。

清の画家・石涛《画語録》<皺法章第九>は「一画紙に落つれば、衆画これに従う」といった。*42 いったん筆は紙に下ろしたら、作者の内面的なる力が働き始め、創作の激情は滝のように迸発し、もう止まらない、止められないほどになってしまう。画面の空間は力の演出場になって、この「力」の尽きるまで勣きつづけている。「もう無念無想、運命の一瞬として第一画が打たれる。この第一画が、すべて以後の形と線を決めてしまうのである。この第一画から発展し生成して、第二画が誕生して行く。日頃鍛えた力によって自然に、生き生きと書き進める。」

「次に引かれる線の強弱・大小で変わってくるし、次に直線・曲線と書いていくと、これは計算出来ない微妙なものがある。それらは、互いに呼吸し合って生きているからである。一本の線が引かれて次の線の位置が決まり、次の場所が決まる。」*43
 「力の場」を構成する主役は、運筆である。描く意欲、創造の意欲が強くなければならない。「どの岩も重圧に抗して、岩としての存在を叫び、どの樹木も樹木であるために叫び立てている。」 *44

 ここで、ゴッホの《ガラスのいる麦畑)《糸杉》(糸杉と星の道》と《海の釣舟)(デッサン)の、筆致の強い作品を思い出す。 「ストリンドベルクとファン・ゴ・、ホ」 (初版 1926年 日本語版は村上仁訳みすず書房)で二人の病誌的分析を試みたカール・ヤスパースは「精神分裂病は、それ自身では創造的ではない」と断った上で。「しかし私には丁度(ゴッホの)精神病が発現した時に“新しい様式”の驚くべき急速な発展が始まった、ということが単なる“偶然”だとはどうしてもおもえない」(日本語版 P196)と述べているが、 ここで彼のいう“精神病”とはアルル時代の噪状態、再びヤスパースの言葉を借りれば「激しい忘我的な興奮」である。彼はその具体的な現れを、このころのデッサンにおける「渦巻きや螺旋、アラビア数字の3や6を思わせる形」などにみている。*45 図37

「激しい忘我的な興奮」は、創造的意欲の旺盛、新たな様式の発現に伴ってきた激動を示している。《海の釣舟》(デッサン)の作は、筆致による構成であった。
 生き生きとした筆致、この内面なるつながりの「力動」、アラビア数字により波浪の形が無意識的に現われ、東洋の伝統をそんなに知らないゴッホに対して、新たな表現様式の発現――物理的力から視覚的力への転換によって興奮するのは、想像以上のものではないだろうか。

ゴッホの葦ペンの線のタッチは、王蒙の牛毛皺による運筆「互に呼吸し合って生きている」ことと一致していた。運筆の軌跡が、そのまま形(力の場)になって自然の形の拘わりを捨てて描くことをはじめとし、そこから現代の美術が生まれたとするなら、遠い昔東洋にも、このような変革が行われていたと思われる。
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